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パチンコに手を染めた人間が足を洗えないことを正当化するための言い訳じみた長文

少し前、魔法少女まどか☆マギカのパチンコが稼働開始した。原作のことは部分的にしか知らないのだが、なかなか面白い台だと思う。演出も悪くないし、確変中の時短が10回と極端に少ないので無駄球を出さずにさくさく終わるのがいい。1ゲーム連で気持ちいい当たり方をするのも好きだ。何より勝ったので印象が良い。

ただ、同時期に導入されたネギまに吸われたので収支はとんとんぐらいになってしまった。少しプラスにとどまっているところで止められたのでまだ良かったが、もう2度とネギまは打たないかもしれない。なんでまどかより初当たり率が高いのに一度も当たらないのか。

 

基本的にパチンコパチスロは運一本勝負のギャンブルである。店の傾向、釘の調子、引き際の見極めといった要素はあるにはあるが、俺のような素人にとってはこれも運の範疇の問題に過ぎない(と思い込むことでダメージを軽減している)。

にも関わらず、これらのギャンブルでは相性の良し悪しや運の流れみたいなものが節々に顔を出す。お気に入りの「勝てる台」を持っている人は少なくないと思うし、「閉店間際で時間がないときに限ってゲーム数が大量上乗せ」「自分が諦めた台にほかの人が座ったらすぐ大当たり」「設定がいいはずなのに波に乗れない」なんてマーフィーの法則や、各種のオカルト打法もまことしやかに語られている。

悪いことほど記憶に残りやすいくせに藁にすがりつく人間のサガのせいだと言ってしまえばそれだけだが、どうしても運気の存在を感じずにはいられないのも人間のサガ。これはパチンコに限らず、ギャンブルの面白い面だなと思う。こんなことを思ってるからいつまでも足を洗えないし、ソシャゲのガチャも回してしまうのだけど。

 

俺がパチンコと出会ったのは学生時代、友人に連れられてパチンコ屋に行ったのが初体験だった(18歳過ぎてから入ってるので合法)。当時はテレビでもパチンコ・パチスロのCMが堂々と流されていた時代で、アクエリオン仮面ライダー辺りは見たことがある人も多いはずだ。

その時に打ったのはエヴァンゲリオンパチスロ。Aタイプと呼ばれる、ボーナスメインでコインを増やしていくタイプの台である。その時は数回大当たりを引いたものの、最終的には数千円負けて帰った。

負けて帰ったのだが、完全にその魅力に打ちのめされてしまった。使徒を打ちのめすエヴァとボーナスを褒めちぎってくれるアスカやレイに、射幸心がぼうぼう燃え上がった。今はだいぶマシになったがこの頃のパチ狂いっぷりは割と酷く、そこそこ通い詰めて負けていた。借金で身を崩すようなことにならなかったのが不幸中の幸い。

 

そんなタバコ臭い青春の中で記憶に残っているのが、先ほどの初体験で俺をパチンコ屋に導いた友人のことである。彼は教師からの高い評価と世間を舐め切った言動を両立している、要領が良くてネジがちょっと緩んだ男だった。そして、ギャンブル運に恵まれていた。

俺が負け始めた横に座ればいきなりボーナスを引き当てるし、ふらふらといなくなった時には大体遠くの台で連チャンを叩き出すし、帰りたいけどこいつのボーナス終わり待ち、なんてこともよくあった。俺が負けるのはこいつに運を吸われているせいなんじゃないか?と半分以上マジで思っていたが、なんのことはない。彼が運の良い人間で、俺が運の悪い人間だっただけだ。

 

そういう経験があって、運というものに対する見方が少し変わった。自分が実際にギャンブルの場に立って運の良し悪しを経験したことで、運の存在を客観的に受け入れられるようになった気がする。「理不尽なランダム要素」が「緩急をつけるための独自要素」に変わったようなイメージ。

勉強代は高くついたが、これは多分俺にとってはパチンコからしか学べなかったことだ。だから、この趣味を必要以上に卑下するのはやめておくことにしている。

でも人にはパチンコは絶対勧めない。やらないのが唯一無二の必勝法だから。

 

以上、パチンカスからの言い訳じみた長文でした。好きなことして騙し騙し生きていく。

 

最後に、自制のために時々思い出す言葉を。

パチンコ屋に通う俺たちを見て、ギャンブル経験ゼロの同級生がドヤ顔でこう語っていた。

 

「あんなのは確率論のゲームだから負けようがない。俺なら絶対勝てる」

 

ギャンブル漫画で最初に食い物にされて負ける理屈屋のキャラとして百点満点の発言だと思う。こういう考え方をするようになったら、俺も足を洗うつもりだ。